回顧録。七つの星に変わる。

“忘れることが怖いから 少しずつ話をしよう”

And now I'm living on

終わってみて思うこと。

すんなりと結末を受け入れたわたしがいる。

 

いい夢が見られた。

色んな人々や土地と出会った。

遠出が楽しくて仕方なくなった。

これって少しだけだけど、人生が変わったということだよね?

 

大好きだけど、ちょっぴり嫌いなところもある。

あまり気に入らないメンバーもいる。

でも、ちょっとした友達よりよく見た(かもしれない)今となっては、別に気にしないよ。

 

重ねた時間が重みを生んだ『軌跡』、喜びと笑いに満ちたワグナイター。

なんとなく受け入れつつもぼんやり上の空になった6月15日のあのメール。

ラジオも生放送も一瞬で無くなって、心にすっぽり穴が開いた。

 

変えてくれたのは底抜けに楽しい市原。狂騒が始まった日。

ふと終わりを意識させ、立ち止まる時間をくれた盛岡。残る雪と澄んだ寒さが寂しげで、でも不思議と悲しくはなかった。

仙台は最後まで、ワグナイターの頃と同じ暖かくてアツい応援で支えてくれた。そんな地元での大団円だった。

SSAは夢の中にいるようで、体の動かし方すら忘れたかのようにぼうっと眺めたひと時だった。

 

次もあるんじゃないか、なんて悪い冗談がふと口を突いて出たりする。

そんな冗談も、今なら冗談で済ませられるね。

 

あの3月8日もそうだった。

あの日も“いつもの”調子の彼女たちがステージにいたから。

……今になって思えば、“いつもの”ように見えて、いろいろ“変”で“らしくない”ところなんてたくさんあったのにね。

 

でも、終わったことは終わったこと。

大人が色々余計なこと喋ったりしてるけど。

彼女たちに後悔がひとつもないなんてことはないだろうけど。

終わった今となっては、ぜんぶ笑って受け流せるよ。

これで一応はよかったんだ。

今なら万事そう思える。

彼女たちの最後は、そう思える純粋さに満ちていたから。

WakeUp,Girls!と聖地仙台。

WakeUp,Girls!にとって仙台とは始まりの地であり、長い時間をかけて“HOME”へと染め上げたWUGの箱庭であり、誰もがWUG!を知る不思議な(?)地である。

 

わたしは仙台で生まれ育ち、仙台が好きだ。

タイムラインでしか見たことのない人々が、わたしもよく行く仙台のお店や食べ物、あるいは風景を、心の底から嬉しそうに撮影してアップロードしてくれる。

それがたまらなく好きなのだ。

 

仙台は、『WUG!』の世界がそのまま現実にあるかのような空気を体験できる場所だ。

声優WUGは、まるでアニメから飛び出してきたかのようなライブでわたし達を2.5次元に引き込んでくる。

それらと同じように、ブラウザやSNSでしか話したことのない愉快な“ワグナー”が、現実の何処かに足跡を残していく。

そんな遠くの仲間たちを、“聖地”でなくとも暖かく迎え入れる地元の人々が数多いる。

 

WUGは仙台にとって、もはや日常に当たり前に存在している風景を、ほんの端っこだけかも知れないが、確かに占める存在になっている。

この雰囲気もまた、一つの夢見た景色。

さいたまスーパーアリーナを光でいっぱいにした光景が夢であったように。

WakeUp,Girls!を仙台が受け入れ、“聖地”が完成するこの光景もまた夢だったのだ。

 

いつかはきっと、この光景を知らない人たちが増えていく。

忘れてしまう人たちも少なくないはずだ。

そう思うと、道半ばのようで少し寂しい。

だが、きっとこの日常を覚えていてくれる人たちもまた、変わらず居続けるだろう。

少なくとも、1万3000人のSSAのお客さん。

2万何千人の、楽天ファン。

“聖地”となったお店を営む人々。

そんな人たちの心を拠り所にして、思い出は残り続けるはずだ。

 

いつかどんなに時間が経っても、すっかり寂れてしまっても。

そんな思い出の地を目印に、覚えている人々が集まれる。

自然と誰かの顔を見られる故郷になる。

“聖地”のそんな役割は、きっと始まったばかりに違いない。

全ての想いが集った場所。2019年3月8日。

誰もが夢のような光景だったと口を揃える、そんなひと時があった。

わたしはただぼうっと、さいたまスーパーアリーナに立っていた。

 

聖地とされながらも、誰も近寄らない地がひとつだけあった。

I-1アリーナ。さいたまスーパーアリーナだ。

七人のアイドルが全国への道を切り拓くきっかけをくれた箱であり、WUGを含むたくさんのアーティストが集うフェス会場の定番で。

そして、ほんの一握りの人気者たちだけが独り占めできる夢のアリーナ。

 

WUGの4thツアーの折、大宮公演の隣では絢爛なシンデレラ城が煌めいていた。

ちょっとした興味本意で冷やかしに行った記憶があるが、わたしは思わず圧倒されてしまった。

WUGはこうはなれない、この道のままでは永遠に敵わない、と。

この気持ちは、ついに最後までわたしの中で消えずに残り続けたしこりだ。

 

きっとみんな、馬鹿で無謀な挑戦だと思っただろう。

わたしはそう思った。

悲しい結果を生むだけだと嘆いた。

しかし、わたしはひとつ忘れていた。

ワグナーは最後まで“諦めない”人たちだった。

多くの知人を連れてこようとする人、少しでも興味を持って貰おうと日々話題を供し続ける人。

思い思いのやり方で、最後まで彼女たちを支え続けようとした人たちがいた。

 

いつしかわたしは、そんな人たちを見ないよう、目を反らし始めた。

足掻いても踏ん張っても、叶わないものは叶わない。

傷が深まるだけだ、と。

これは最後の最後で、彼女たちを支え続けることを怖がってしまった、そんなひとりの人間の懺悔である。

 

 

さいたまスーパーアリーナは、彼女たちにとって決して大きすぎる箱などではなかった。

七人の歌声はほんの昔より格段に力強く、隅々まで届けんとする気迫に満ち溢れるものだった。

ダンスやライティング演出も然り。

いつもの2000人規模のホールステージで見る彼女たちより遥かに遠いが、そんな距離で見る彼女たちは、むしろ大きな存在感と見ごたえを放ちつつ向かってきた。

そしてそんな彼女たちを満席で迎えるべく、声を上げ続けたファン達がいた。

あの場にいた全ての人たちが、彼女らの最大最後の夢を叶えんと努力し、やっと実現したその瞬間が紛れもなくあそこにあったのだ。

 

そんな純粋な夢と想いの結晶を前に、わたしは立ち尽くすしかなかった。

彼女たちを狭い箱に押し込め、やれこのくらいがちょうどいい、わかる人だけわかれば良いだなどと。

あの七人の力を最後まで正直に信じることが出来なかったわたしは、かつて一人の男が去ったあの時で、時間が止まってしまった「彼ら」の姿と重なるではないか。

 

彼女たちは、そんな小さな器ではなかった。

WakeUp,Girls!というユニットですら、もはや足枷となっているのかもしれない。

彼女たちの“原点”を大切にしてほしい。

でも彼女たちを縛るものなら、もういらない。

好きに人生を歩んでほしい。七人の人生はこれからも続く。

きっとそこにいつでも、“ふるさと”を大切にする想いは残り続けるだろう。

そうある限り、彼女たちが生きていく道そのものが『WakeUp,Girls!』の物語の続きを紡ぎ続けるはずだ。

わたしは彼女たちの、全ての可能性を肯定していきたい。

出来るかどうかは分からない。

また疑ってしまうかもしれない。

だが、そうあり続けることで、わたしはこれから“悔い”を果たしていくことにする。

 

そう、わたしは何だかんだ、まだまだファンをやめられそうにないのだ……。

だって、視界のどこかに彼女たちが居るのが、当たり前になってしまったから。

WakeUpGirls!と震災復興。

 

“WUGは震災復興のために結成されたユニットである。”

 

この命題の答えを是とすることは、私にはできない。

『WakeUp,Girls!(以下WUG)』プロジェクトが掲げていた復興支援と、彼女たちが直に東北の地に向き合わんとしてきた努力は、分けて語られるべきだ。

そこにある時間差と、彼女たちの歩み。

そこにこそ、この物語の美しさとカタルシスが詰まっていると私は思う。

 

 

……

ぶっちゃけ、よくある方便でしょ?

猫も杓子も復興、復興。

やれ企業のCSRだ、ミュージシャンの東北への想いだ、そんなの大して感じてないくせに。

WUGだって復興支援をお題目みたいに唱えながら、なんてことない平凡で型にはまった復興支援活動をなぞっておしまいだろう。

……

 

一般的な宮城の人間の感覚は、こんな感じだったと思う。

オタクへの風当たりは地方ではまだまだ強く、WUGに対する風当たりも、どちらかというと冷たかった。

みんな冷えきっていたのだ。

私もまたそんな風当たりの一部のように、“不気味なオタク集団”に不審の目を向けていたのかもしれない。

 

 

『WUG!』は復興支援を兼ねたプロジェクトであるが、かのアニメが描いたのは7人の少女たちの、ほんの一年足らずのリアルタイムな人生だ。

宮城の地に生きる以上、“あの日”の爪痕は避けて通れない傷。

だが『WUG!』にとって、“あの日”のことは背景の一部でしかなかった。

少女たちは傷も塞がないまま、痛みに喘ぎながらも先に進む姿を見せる。

そんな少女たちの物語は“復興支援”という手垢でベタベタの言葉では言い表せない。

その一歩先。

もう一度夢を見つけて歩きだすための力を、やっとのことで見つけ出す物語だった。

 

 

さて、ここまではアニメ『WUG!』の話。

では、『WUG!』のプロジェクトにおいて、具体的な“復興支援”とは何を狙ったものだったか。

それは、“聖地”を作ることにあったと思う。

アニメを通じて全国からファンが集まるスポットを作る。

イベントを開催して、地方にエンターテイメントを持ち込む。

それが『WUG!』の復興支援であり、地域振興のかたちだったのだ。

 

ーーー

プロジェクトが掲げる“震災復興”のテーマを知り、実際にその地に足を運んだ彼女たち。

一体、何を感じたのだろうか。

自分の夢のこと。

夢を叶える代わりに背負ったプロジェクトの重み。

被災地と呼ばれる地域の現状。

あどけない10代の少女たちに、どこまでそれを受け止める器があっただろうか。

ーーー

 

 

だがやがて、アニメは一度途切れてしまう。

彼女たち7人に物語を与えて導いてくれたキャラクターや世界は、沈黙してしまった。

どうすればいいのか悩み、話し合ったと彼女たちが語ったのはどこの場だったか。

 

しかして、アニメが沈黙している間も、彼女たちは待たずに再び走り出した。

“復興支援”というお題目に馬鹿正直に向き合い、自分達の責任を果たそうとしたのだ。

 

アニメに登場したランドマークだけではなく、自分たちの足で地方を回り足跡を残す。

ハイパーリンク”コンセプトを逆手に取り、キャラクターなしで“聖地”を作る力業。

 

そんな彼女たちの本気に、いつしか地元の有名企業が名乗りを挙げた。

東北イオンリテールや、楽天イーグルスだ。

 

かの企業らの力は計り知れなく強かった。

彼女たちが東北の地に直接支援できるチャリティ企画を立ち上げ、週末のゴールデンタイムに地上波でCMを流し、売り場では定期的に彼女たちの声を放送していた。

あるいは野球を応援しに訪れる老若男女に彼女たちの声を聞かせ、活動のあらましを紹介した。

 

かつて冷めた目で見ていた住民たちも、この頃には彼女たちの活動を知り始める。

その評価と親近感はみるみる上がり、誰もが彼女たちの味方になっていった。

身長100センチもないチビすけ。

厳ついツーブロックのにーちゃん。

ショッピングを楽しむ賑やかなオバチャン。

みんな彼女たちの顔と声を覚えているのだ。

 

アイドルや声優になる夢をただ叶えたかっただけの七人の少女たちは、本来プロジェクトが背負うべきだった“震災”の命題を自分たちという人間に与えられた使命として背負い、東京から300kmも離れたこの地で親しまれることになった。

なんとも数奇な運命ではあるが、彼女たちが背負い繋いできたプロジェクトの果てには、計り知れないドラマや幸せが満ちている。

 

 

彼女たちは東北に、ささやかな笑顔と賑わいをもたらした。

数百人のファンを連れて東北六県を旅し、何も無くても仙台や石巻に遊びに来てくれるファンも数知れずいる。

“被災地”を“どこか遠くの僻地”ではなく、“思い出や憧れの詰まった身近な地”にしてくれた。

 

アニメや声優趣味はいまだ世間からは冷たく見られるが、彼女たちのファンであることは堂々と自慢できる。

チャリティやイベントを繰り返し行った実績ももちろんだ。

だが何よりも、それは彼女たちがしてきた活動が、それだけ真っ直ぐな想いと誇りと信念を持ったものだったからに他ならない。

 

彼女たちが歩んできた道は、期待された道から外れたものだったかも知れない。

数字で評価できる実積は数少ないかもしれない。

だがこうして、遠く東北の地にみずから寄り添い活動してきた彼女たちの足跡は、ささやかな幸せと親しみで満ちている。

 

どこまでも真っ直ぐで正直で、不恰好な彼女たちの足跡。

期待された道よりも自らの信じる道を歩んできた彼女たちの純粋さ。

アニメや声優の枠組みなど軽く吹き飛ばすこの物語は、“2つの人生”を送ってきた彼女たちの強い生命を感じるプロジェクト。

関わるあらゆる人びとの想いをぜんぶ乗せて、野次や悪評にも挫けず、最後に自分たちのとびきりの幸せを掴むまで。

この過程を“間違えた道だった”という人間がいたら、鼻で笑ってあげよう。

 

きっとこの先も、私だけじゃなく、この時間軸に東北を生きた人間たちは、忘れることはないだろう。

そして忘れない限り、想いは続いていくはずだ。

コラム:消えたはずのシャッター通り

「懐かしい 愛おしい 私の街」

 

吉岡茉祐の口から紡がれる、慈しむように優しい歌声がたまらなく好きだ。

大切すぎてこぼれんばかりの思いを、なんとか抱きとめながら歌うような美しい歌。

 

 

“わたしのまち”。

彼女たちがこれを歌うとき、どんな街を思い浮かべているのだろう。

 

例えばひとつ思い浮かぶのは、とある宮城の港まち。

あの日、街は海に消えていった。

よく知る街が、道だけになった光景。

だが、そんな港まちにも8年の月日が流れた。

あの日を知らない子供たちが生まれ、あの日無かった建物が建ち始めている。

街はささやかな賑わいを取り戻しつつある。

 

例えばもうひとつ重なるのは、未来の“聖地”の姿。

特に有名でも無かった“普通に美味しい”店、地元の人に“何もない”と言われる街。

そんな街が“聖地”になり、たくさんの思い出と憧れを受けとめ、誰かの大切な地になった。

 

例えばこういうものもあるかもしれない。

WUGを愛する人々のコミュニティや繋がりだ。

実体のない集まりでも、日々WUGの話題で一緒に盛り上がったり、悩んだり。

自慢のグッズを見せびらかしたり交換したり。旅先で知り合い、お酒や名産品を堪能したり。

WUGの周りにはそんな暖かなコミュニティがあり、WUGを彩る賑わいの一部となっている。

 

 

だが。

新しく出来た商店街にもいつかシャッターが降りるかもしれない。

聖地はやがて忘れられ、誰も来なくなるかもしれない。

コミュニティだって、いつか人が居なくなればぼろぼろと崩れていくだろう。

きっと、何者もこれを避けることはできないはずだ。

 

そうしてすっかりひとけも疎らになり、寂れてしまったとしても。

シャッター通りだとしても、そこには大切な想い出が仕舞われている。

居なくなった人々だって、大切な想い出は心の何処かにいっぱいに秘めたままだ。

 

 

何も無くなった街にもやがて賑わいを取り戻す日が来て、しかして人々はいつかそこを去り、街がシャッター通りになる日は来る。

そんな途方もない未来になって、すっかり寂れた街を歩きながら、それでも残る街並みの姿にかつての暖かさを思い出し、ほっと背中を押される。

 

この曲は、きっとそんな途方もない未来を少しだけ先取りする歌なのだと思う。

 

 

WUGやワグナーにとって、そんな“街”たちやこの作品が、代わりのない“わたしのまち”になりうるのだろうか。

少なくとも、わたしにとっては何よりのたいせつの一つだ。

もしもWUGちゃんたちも、同じものをたいせつな“わたしのまち”として歌ってくれているのだとしたら……。

同じ“街”を通じて、同じ想いを抱くことができているのなら……。

 

そんな幸福があるのだと、わたしは信じたい。

コラム:『Polaris』を想って

WUG新章の虎の子である『Polaris』は、WUGメンバーが自ら作詞した彼女たちの切り札だ。
初披露はバスツアーの目玉、特別な5周年ライブの日。
あの日あの地にいた500人のためだけに最新の音響が用意され、贅沢に披露された。

震災、東北への想い、仲間たちへの信頼、感謝、夢、自信。
いまや『WUG!』プロジェクトの核となった7人が等身大の気持ちを綴った、精神性の垣間見える詞が最大のウリだ。

 

だがこの詞に“震災”の暗喩が含まれるのは、考えようによっては出過ぎたマネだろう。
安易に触れるべきではないテーマに、彼女たちはあえて手をつけた。
なぜなら彼女たちは5年余りの歩みのなかで、馬鹿正直にこのテーマに向き合ってきたから。

 

いつか私たちにしか歌えない曲を。

“もうひとり”の彼女たちが3年前にそう口にした時には、『Beyond the Bottom』という曲が与えられた。
聴いたこともないような音や清純な歌声、釘付けにさせる凄みのある曲だが、それはある意味でWUGのための曲ではなかった。

Polaris』はあれから2年を経て、自分の足で歩き出したWUGの曲だ。
望む望まないに関わらず、一度は何もなくなった道を自分たちで切り拓き、怪我だらけの体で生み出したアイデンティティの結晶。

 

この曲は、泥臭く進んできた彼女たちの足跡の上に生まれた。
Polaris”を見上げる足元は、きっとグチャグチャに散らかっているに違いない。

プロジェクトの功罪を一身に背負い、ときに失敗や仲違いがあって、終わりたくないと泣き叫んだりもした、きっとその先に見出だしたのがこの答えなのだろう。

“Win7ers”がアニメになっていたら。
『新章』が生まれなかったら。
そのときは詞を自作する必要などなかったはず。

もし作詞できる子が居なかったら。
もし東北を故郷とし、ずっと想ってくれる子が居なかったら。
そしたら、どうでもいい曲が増えただけのはず。

だからこの曲や詞には、たくさんの“キセキ(奇跡)”と“キセキ(軌跡)”が詰まっている。
どうか、そんな文脈をなぞりつつ味わってみてほしい。

 

さて、次は詞について。
作詞者は“7人”の名義だが、ひとつの詞に纏めあげたのは吉岡さんだ。
強い意志を通し、メンバーたちをとことん理解し、歌割りまで決めて詞を綴った功績は彼女にある。
だが単純に見れば“男らしい”と評される彼女には、実は怖いものが苦手だったりロマンチストだったりと、いじらしい乙女としての内面もある。

Polaris』の歌詞カードは、そんな彼女らしいガーリッシュでキラキラした言葉遊びがたくさん見られるオトメなものだ。

ーー例えて言うなら、いつもの「吉岡茉祐でーすぅー」ではなく、「よしおかまゆですっ☆」という感じだろうか?(伝わらない)ーー

そんな背伸びがちでロマンチックな部分と、7人なら何にでもなれる!という自信。
言葉選びこそ先達と比べて拙く、文法や熟語も少しだけ怪しいものの、それでもこの青臭さが彼女たち“おイモちゃん”らしく、愛らしい。

 

この曲が持つのは、優しくて素直で、ちょびっと夢見がちで、透明で柔らかい雰囲気。
彼女たちが纏う雰囲気に、よく似ていないだろうか。

彼女たちを身近に感じ、定期的に見ることができた頃は、その魅力になかなか気づけなかった。

HOMEツアー、あの日盛岡の地で、奥野さんが優しく告げた終わりの日。
今度こそ本当に終わってしまう配信番組たち。
横須賀、アニメJAM、忘年会。
あっという間に年末。
……気がつけば、あとたった3ヶ月。
次のライブが待ち遠しくて、でも時間が過ぎていくのが惜しくて。
そんなひんやりとした心に、ある時ふと『Polaris』が寄り添ってきたようだった。

 

WakeUpGirls!がまとう空気の代わりを求めるように、私は今も気がつくと『Polaris』を耳にしている。
……たぶん、2019年の3月が過ぎても。

HOME。2018年③

寂しさとむしゃくしゃから、何とかチケットを工面してもらい、強引に休みを取って向かった。

灼熱のあの日、7月14日の市原へ。

山寺宏一さんの前口上。
ブロードウェイのショウのようなライブ。
市原公演の切り口は鮮烈だった。
ちょっと切ないけど、でも!まだまだ楽しめるぞ!
そういうメッセージだと感じた。

私はこの日から、WakeUpGirls!解散の痛みを少しだけ忘れることができたのだ。
きっと、怪我をした兵士がモルヒネ注射で痛みを和らげる、そのようなものだけど。

“花は花は、花は咲く。”
“いつか生まれる君に、私は何を残せただろう。”

WakeUpGirls!の、最期に見せる狂った輝きがここから始まっていた。


時は経ち、12月9日の極寒の北国。
遠く岩手の地、WakeUpGirls!はもうひとつの節目をここで刻んだ。

妖精たちが紗幕に魔法をかける。
幻想的で、ド派手で、童心がうずくようなパフォーマンス。
その幕間をぬって奥野香耶さんが描いた、故郷の風と、青葉の緑。

理想郷“イーハトーヴ”に「風」を吹かせた「猫」のような気まぐれな女性。
そんな奥野香耶さんが故郷で見せてくれたのは、ふるさとへの、そこで暮らす人々への、仲間たちへの、……なによりもファンへの愛だった。

WakeUpGirls!は解散する。
その先のため。
だけど、ずっと見ていてね。

彼女は不器用だったが、ファンだけは優しいことを知っていた。
そんなあの人の精一杯のメッセージだ。
きっと、思いきったのだろう。
ここ岩手の地で、彼女の裁量が最も利く場所で、誰しも言いたくなくて、聞きたくなかった言葉を告げた。
迫り来る辛い事実を、優しさとぬくもりで包んで、できるだけ痛くないように、告げてくれたのだ。

私はきっとこの日をもって、初めて“解散”の事実を飲み下すことができたんだと思う。

ーー

“HOME”
“私たちみんな家族”

WUGちゃん達がしきりに唱える、甘美な言葉だ。
アイドルとファンって、ふつうはそうじゃない。

アイドルは“与える”人たち。
ファンは“受けとる”人たち。

私たちには、彼女たちをどうにかしてやることはできない。口を挟むことも、守ってやることもだ。

では彼女たちは、なぜ“たかがファン”にそれだけ重い言葉を投げかけてくれるのだろう?

今の私には、まだ言葉が出せない。