WakeUpGirls!と震災復興。
“WUGは震災復興のために結成されたユニットである。”
この命題の答えを是とすることは、私にはできない。
『WakeUp,Girls!(以下WUG)』プロジェクトが掲げていた復興支援と、彼女たちが直に東北の地に向き合わんとしてきた努力は、分けて語られるべきだ。
そこにある時間差と、彼女たちの歩み。
そこにこそ、この物語の美しさとカタルシスが詰まっていると私は思う。
……
ぶっちゃけ、よくある方便でしょ?
猫も杓子も復興、復興。
やれ企業のCSRだ、ミュージシャンの東北への想いだ、そんなの大して感じてないくせに。
WUGだって復興支援をお題目みたいに唱えながら、なんてことない平凡で型にはまった復興支援活動をなぞっておしまいだろう。
……
一般的な宮城の人間の感覚は、こんな感じだったと思う。
オタクへの風当たりは地方ではまだまだ強く、WUGに対する風当たりも、どちらかというと冷たかった。
みんな冷えきっていたのだ。
私もまたそんな風当たりの一部のように、“不気味なオタク集団”に不審の目を向けていたのかもしれない。
『WUG!』は復興支援を兼ねたプロジェクトであるが、かのアニメが描いたのは7人の少女たちの、ほんの一年足らずのリアルタイムな人生だ。
宮城の地に生きる以上、“あの日”の爪痕は避けて通れない傷。
だが『WUG!』にとって、“あの日”のことは背景の一部でしかなかった。
少女たちは傷も塞がないまま、痛みに喘ぎながらも先に進む姿を見せる。
そんな少女たちの物語は“復興支援”という手垢でベタベタの言葉では言い表せない。
その一歩先。
もう一度夢を見つけて歩きだすための力を、やっとのことで見つけ出す物語だった。
さて、ここまではアニメ『WUG!』の話。
では、『WUG!』のプロジェクトにおいて、具体的な“復興支援”とは何を狙ったものだったか。
それは、“聖地”を作ることにあったと思う。
アニメを通じて全国からファンが集まるスポットを作る。
イベントを開催して、地方にエンターテイメントを持ち込む。
それが『WUG!』の復興支援であり、地域振興のかたちだったのだ。
ーーー
プロジェクトが掲げる“震災復興”のテーマを知り、実際にその地に足を運んだ彼女たち。
一体、何を感じたのだろうか。
自分の夢のこと。
夢を叶える代わりに背負ったプロジェクトの重み。
被災地と呼ばれる地域の現状。
あどけない10代の少女たちに、どこまでそれを受け止める器があっただろうか。
ーーー
だがやがて、アニメは一度途切れてしまう。
彼女たち7人に物語を与えて導いてくれたキャラクターや世界は、沈黙してしまった。
どうすればいいのか悩み、話し合ったと彼女たちが語ったのはどこの場だったか。
しかして、アニメが沈黙している間も、彼女たちは待たずに再び走り出した。
“復興支援”というお題目に馬鹿正直に向き合い、自分達の責任を果たそうとしたのだ。
アニメに登場したランドマークだけではなく、自分たちの足で地方を回り足跡を残す。
“ハイパーリンク”コンセプトを逆手に取り、キャラクターなしで“聖地”を作る力業。
そんな彼女たちの本気に、いつしか地元の有名企業が名乗りを挙げた。
かの企業らの力は計り知れなく強かった。
彼女たちが東北の地に直接支援できるチャリティ企画を立ち上げ、週末のゴールデンタイムに地上波でCMを流し、売り場では定期的に彼女たちの声を放送していた。
あるいは野球を応援しに訪れる老若男女に彼女たちの声を聞かせ、活動のあらましを紹介した。
かつて冷めた目で見ていた住民たちも、この頃には彼女たちの活動を知り始める。
その評価と親近感はみるみる上がり、誰もが彼女たちの味方になっていった。
身長100センチもないチビすけ。
厳ついツーブロックのにーちゃん。
ショッピングを楽しむ賑やかなオバチャン。
みんな彼女たちの顔と声を覚えているのだ。
アイドルや声優になる夢をただ叶えたかっただけの七人の少女たちは、本来プロジェクトが背負うべきだった“震災”の命題を自分たちという人間に与えられた使命として背負い、東京から300kmも離れたこの地で親しまれることになった。
なんとも数奇な運命ではあるが、彼女たちが背負い繋いできたプロジェクトの果てには、計り知れないドラマや幸せが満ちている。
彼女たちは東北に、ささやかな笑顔と賑わいをもたらした。
数百人のファンを連れて東北六県を旅し、何も無くても仙台や石巻に遊びに来てくれるファンも数知れずいる。
“被災地”を“どこか遠くの僻地”ではなく、“思い出や憧れの詰まった身近な地”にしてくれた。
アニメや声優趣味はいまだ世間からは冷たく見られるが、彼女たちのファンであることは堂々と自慢できる。
チャリティやイベントを繰り返し行った実績ももちろんだ。
だが何よりも、それは彼女たちがしてきた活動が、それだけ真っ直ぐな想いと誇りと信念を持ったものだったからに他ならない。
彼女たちが歩んできた道は、期待された道から外れたものだったかも知れない。
数字で評価できる実積は数少ないかもしれない。
だがこうして、遠く東北の地にみずから寄り添い活動してきた彼女たちの足跡は、ささやかな幸せと親しみで満ちている。
どこまでも真っ直ぐで正直で、不恰好な彼女たちの足跡。
期待された道よりも自らの信じる道を歩んできた彼女たちの純粋さ。
アニメや声優の枠組みなど軽く吹き飛ばすこの物語は、“2つの人生”を送ってきた彼女たちの強い生命を感じるプロジェクト。
関わるあらゆる人びとの想いをぜんぶ乗せて、野次や悪評にも挫けず、最後に自分たちのとびきりの幸せを掴むまで。
この過程を“間違えた道だった”という人間がいたら、鼻で笑ってあげよう。
きっとこの先も、私だけじゃなく、この時間軸に東北を生きた人間たちは、忘れることはないだろう。
そして忘れない限り、想いは続いていくはずだ。