回顧録。七つの星に変わる。

“忘れることが怖いから 少しずつ話をしよう”

コラム:消えたはずのシャッター通り

「懐かしい 愛おしい 私の街」

 

吉岡茉祐の口から紡がれる、慈しむように優しい歌声がたまらなく好きだ。

大切すぎてこぼれんばかりの思いを、なんとか抱きとめながら歌うような美しい歌。

 

 

“わたしのまち”。

彼女たちがこれを歌うとき、どんな街を思い浮かべているのだろう。

 

例えばひとつ思い浮かぶのは、とある宮城の港まち。

あの日、街は海に消えていった。

よく知る街が、道だけになった光景。

だが、そんな港まちにも8年の月日が流れた。

あの日を知らない子供たちが生まれ、あの日無かった建物が建ち始めている。

街はささやかな賑わいを取り戻しつつある。

 

例えばもうひとつ重なるのは、未来の“聖地”の姿。

特に有名でも無かった“普通に美味しい”店、地元の人に“何もない”と言われる街。

そんな街が“聖地”になり、たくさんの思い出と憧れを受けとめ、誰かの大切な地になった。

 

例えばこういうものもあるかもしれない。

WUGを愛する人々のコミュニティや繋がりだ。

実体のない集まりでも、日々WUGの話題で一緒に盛り上がったり、悩んだり。

自慢のグッズを見せびらかしたり交換したり。旅先で知り合い、お酒や名産品を堪能したり。

WUGの周りにはそんな暖かなコミュニティがあり、WUGを彩る賑わいの一部となっている。

 

 

だが。

新しく出来た商店街にもいつかシャッターが降りるかもしれない。

聖地はやがて忘れられ、誰も来なくなるかもしれない。

コミュニティだって、いつか人が居なくなればぼろぼろと崩れていくだろう。

きっと、何者もこれを避けることはできないはずだ。

 

そうしてすっかりひとけも疎らになり、寂れてしまったとしても。

シャッター通りだとしても、そこには大切な想い出が仕舞われている。

居なくなった人々だって、大切な想い出は心の何処かにいっぱいに秘めたままだ。

 

 

何も無くなった街にもやがて賑わいを取り戻す日が来て、しかして人々はいつかそこを去り、街がシャッター通りになる日は来る。

そんな途方もない未来になって、すっかり寂れた街を歩きながら、それでも残る街並みの姿にかつての暖かさを思い出し、ほっと背中を押される。

 

この曲は、きっとそんな途方もない未来を少しだけ先取りする歌なのだと思う。

 

 

WUGやワグナーにとって、そんな“街”たちやこの作品が、代わりのない“わたしのまち”になりうるのだろうか。

少なくとも、わたしにとっては何よりのたいせつの一つだ。

もしもWUGちゃんたちも、同じものをたいせつな“わたしのまち”として歌ってくれているのだとしたら……。

同じ“街”を通じて、同じ想いを抱くことができているのなら……。

 

そんな幸福があるのだと、わたしは信じたい。