回顧録。七つの星に変わる。

“忘れることが怖いから 少しずつ話をしよう”

コラム:『Polaris』を想って

WUG新章の虎の子である『Polaris』は、WUGメンバーが自ら作詞した彼女たちの切り札だ。
初披露はバスツアーの目玉、特別な5周年ライブの日。
あの日あの地にいた500人のためだけに最新の音響が用意され、贅沢に披露された。

震災、東北への想い、仲間たちへの信頼、感謝、夢、自信。
いまや『WUG!』プロジェクトの核となった7人が等身大の気持ちを綴った、精神性の垣間見える詞が最大のウリだ。

 

だがこの詞に“震災”の暗喩が含まれるのは、考えようによっては出過ぎたマネだろう。
安易に触れるべきではないテーマに、彼女たちはあえて手をつけた。
なぜなら彼女たちは5年余りの歩みのなかで、馬鹿正直にこのテーマに向き合ってきたから。

 

いつか私たちにしか歌えない曲を。

“もうひとり”の彼女たちが3年前にそう口にした時には、『Beyond the Bottom』という曲が与えられた。
聴いたこともないような音や清純な歌声、釘付けにさせる凄みのある曲だが、それはある意味でWUGのための曲ではなかった。

Polaris』はあれから2年を経て、自分の足で歩き出したWUGの曲だ。
望む望まないに関わらず、一度は何もなくなった道を自分たちで切り拓き、怪我だらけの体で生み出したアイデンティティの結晶。

 

この曲は、泥臭く進んできた彼女たちの足跡の上に生まれた。
Polaris”を見上げる足元は、きっとグチャグチャに散らかっているに違いない。

プロジェクトの功罪を一身に背負い、ときに失敗や仲違いがあって、終わりたくないと泣き叫んだりもした、きっとその先に見出だしたのがこの答えなのだろう。

“Win7ers”がアニメになっていたら。
『新章』が生まれなかったら。
そのときは詞を自作する必要などなかったはず。

もし作詞できる子が居なかったら。
もし東北を故郷とし、ずっと想ってくれる子が居なかったら。
そしたら、どうでもいい曲が増えただけのはず。

だからこの曲や詞には、たくさんの“キセキ(奇跡)”と“キセキ(軌跡)”が詰まっている。
どうか、そんな文脈をなぞりつつ味わってみてほしい。

 

さて、次は詞について。
作詞者は“7人”の名義だが、ひとつの詞に纏めあげたのは吉岡さんだ。
強い意志を通し、メンバーたちをとことん理解し、歌割りまで決めて詞を綴った功績は彼女にある。
だが単純に見れば“男らしい”と評される彼女には、実は怖いものが苦手だったりロマンチストだったりと、いじらしい乙女としての内面もある。

Polaris』の歌詞カードは、そんな彼女らしいガーリッシュでキラキラした言葉遊びがたくさん見られるオトメなものだ。

ーー例えて言うなら、いつもの「吉岡茉祐でーすぅー」ではなく、「よしおかまゆですっ☆」という感じだろうか?(伝わらない)ーー

そんな背伸びがちでロマンチックな部分と、7人なら何にでもなれる!という自信。
言葉選びこそ先達と比べて拙く、文法や熟語も少しだけ怪しいものの、それでもこの青臭さが彼女たち“おイモちゃん”らしく、愛らしい。

 

この曲が持つのは、優しくて素直で、ちょびっと夢見がちで、透明で柔らかい雰囲気。
彼女たちが纏う雰囲気に、よく似ていないだろうか。

彼女たちを身近に感じ、定期的に見ることができた頃は、その魅力になかなか気づけなかった。

HOMEツアー、あの日盛岡の地で、奥野さんが優しく告げた終わりの日。
今度こそ本当に終わってしまう配信番組たち。
横須賀、アニメJAM、忘年会。
あっという間に年末。
……気がつけば、あとたった3ヶ月。
次のライブが待ち遠しくて、でも時間が過ぎていくのが惜しくて。
そんなひんやりとした心に、ある時ふと『Polaris』が寄り添ってきたようだった。

 

WakeUpGirls!がまとう空気の代わりを求めるように、私は今も気がつくと『Polaris』を耳にしている。
……たぶん、2019年の3月が過ぎても。